さらにこちらでは
何事であれ、最終的には自分で考える覚悟がないと、情報の山に埋もれるだけである。
公園のような場所、という活動初期から抱いているイメージも、似たようなところがあるかもしれません。公園にはさまざまな年代の人がいるし、休んでいる人、遊んでいる人、エスケープしにきている人と、いろんな目的の人がいる。それぞれに自分の時間を過ごしているのだけれど、孤立しているのではなくて、柔らかく、みんなここにいるな、ということを無意識に感じながらその場にいるわけです。自分のプライヴァシーも保てるけれど、別の人の存在も感じられる距離感──小さな住宅から大きな公共建築まで、それこそが建築の力だと、わたしは思っています。