manjidera: “(via nyanpiyopiyo, scotty2hotty69) ”
suyhnc 再読は、物語が一度消費(《むさぼり読み》)されたら、他の物語に移り、他の本を買うことができるよう、その物語を《投げ捨てる》ことを勧める現代社会の商業的イデオロギー的慣習に反した操作であり、それはある周辺のカテゴリーに属する読者たち(子供、老人、教師)にしか許されていないが、ここでは、再読はただちに提起されている。なぜなら、それだけがテキストを繰返しから救うからであり(再読を軽んずる人は、到る所で、同じ物語を読まざるを得ない)、テキストをその多様性と複数性の中で増殖させるからである。 …再読は、最初の読書が基本的で、素朴で、現象的な読書であって、後はただ単に《説明》したり、知的な解釈を加えたりすればよいだろうというような思い上がり(あたかも読書にはじめがあるかのような、すべてがすでに読まれていなかったかのような。最初の読書など存在しないのだ。たとえテキストが、説得的というより見世物的な技巧であるサスペンスといういくつかの操作子 opérateur によって、そうした幻想をわれわれに与えようと努力するとしてもである)を認めない。 ロラン・バルト 「S/Z バルザック『サラジーヌ』の構造分析」「IX 読書はいくつあるか」沢崎浩平訳 みすず書房 1973年(via q-q-q) 出典: q-q-q
suyhnc 再読はもはや消費ではない。遊びである。 ロラン・バルト 「S/Z バルザック『サラジーヌ』の構造分析」「IX 読書はいくつあるか」沢崎浩平訳 みすず書房 1973年「…(差異の反復というあの遊び)。したがって、わざと矛盾した用語を使うが、ただちにテキストを再読するのは、薬(やり直しという薬、差異という薬)の効き目によるかのように、《真の》テキストではなく、複数的なテキストを獲得するためである。同一で、しかも、新しいテキストをである。」(via q-q-q) 出典: q-q-q
anamon-book H VOL.7 NOVEMBER 1995ロッキング・オン・ジャパン1995年11月増刊号 Hロッキング・オン表紙=小山田圭吾特集:マイブーム 出典: Yahoo! Japan H VOL.7 NOVEMBER 1995 H ロッキング・オン・ジャパン keigo oyamada 小山田圭吾 cornelius anamon 古本屋あなもん あなもん book cover