スーパードライホール
国が国際行事をもよおす。国の威信というものがそこにはかかってくる。へたなことはできないという気持ちをもつ。いいものにするということになると、当然お金がかかってくることは避けられない。かけるべきところでケチってしまうと、中途半端になったり、誇れるものに仕上がらないような懸念が生じてしまう。
テーマパークでいうと、行事にお金を多くかけるというのはディズニーランドのようなものかな、という気がした。ディズニーランドは、娯楽の施設として完成度が高いといわれている。いっぽう、あまりお金(予算)をかけないでやるべきだという意見というのは、東京の浅草花やしきのようなものかなと感じる。花やしきは、逆転の発想というふうにして、見てくれがちょっと古いのを逆手に利用してみせる工夫や、立地の不利な点をうまくいかすようなアイディアがほどこされているという。
個人的には、いちおうしかるべき行事ということであれば、それなりにお金や予算をかけないといいものにはならないのかなというふうにばく然と思っていた。そういうのはごくありきたりのあたり前な意見であり、あんまりお金をかけないで、できるだけ安くあげるようにしてやるべきだという意見もあるのも一理あるといえる。
きちんとしていたほうが無難ではあるけど、お金をかける予算の制約などがきびしいとなると、その制約(上限)をむりに超えてまでやる必要があるのかという問題がでてくる。みんなの合意を得るのもむずかしくなる。せめてお金をかけるにしても、のちの持続性があるならまだしも、ランニングコストがやたらにかかるようなことになれば、負の遺産というふうにもなりかねない。
となると、ミニマリズムではないけど、いかにかけるお金を削って、簡素にして、シンプルでかつ有意義なものに仕上げるかというのは、ある意味では日本の(かつての)お家芸ではなかったかという気がする。現実的にはむずかしいかもしれないけど、ゆるくて深い、みたいなふうにするのも一つの策ではありそうだ。

